2026/03/09
オウンドメディア水が美味しいのには理由がある|信州大町が「名水の町」と呼ばれる秘密
北アルプスの恵みが生む、信州大町の美味しい水

北アルプスの雪解け水がつくる天然の水フィルター
信州大町が「水の町」と呼ばれる理由
水が美味しいから食べ物も美味しい信州大町の食文化
信州大町で体験できる名水スポット
春の信州大町は雪解け水が最も美味しい季節
信州大町の水が生み出す豊かな暮らし
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寒さを味方にした食文化|信州大町の凍りもち
信州大町の冬は、ただ寒いだけの季節ではありません。雪に閉ざされ、山からの風が鋭さを増すこの時期、暮らしは自然と内向きになり、人々は「どう冬を越すか」を静かに考えてきました。派手な観光資源が語られることは少なくても、台所や軒先には、この土地ならではの知恵が確かに息づいています。その象徴のひとつが「凍りもち(凍み餅)」です。炊きたてのもちを、あえて凍らせ、何度も寒さにさらし、時間をかけて乾燥させる——一見すると遠回りにも思えるこの工程は、信州の冬を生き抜くために生まれた、極めて合理的な食のかたちでした。凍りもちは、名物料理として観光客に大きく打ち出されてきた存在ではありません。むしろ、日常の延長線上にあり、各家庭で当たり前のように作られ、当たり前のように食べられてきた保存食です。だからこそ、その背景には、土地の気候、暮らしのリズム、そして「冬をどう使いこなすか」という発想が色濃く刻まれています。なぜ凍らせるのか。なぜ乾かすのか。その理由を辿っていくと、凍りもちが単なる郷土料理ではなく、信州大町という土地で積み重ねられてきた生活の知恵そのものであることが見えてきます。寒さを避けるのではなく、受け入れ、利用し、味方につける。その思想は、今もこの町の冬の風景に静かに残っています。凍りもちの料理工程|「凍らせて、ほどいて、乾かす」冬の手仕事
凍りもち(凍み餅)の工程は、見た目以上に“時間”が主役です。材料が少ないぶん、手をかける場所は「こねる」でも「味付け」でもなく、寒さと日差しに委ねる時間そのものにあります。信州大町のように冷え込みが強く、日中と夜間の温度差がはっきりする地域では、この自然のリズムが、凍りもちづくりの工程とぴたりと重なってきました。まずは餅をつくところから始まります。もち米を蒸し、しっかりと搗いて、余計なムラが出ないよう滑らかな餅に仕上げます。ここで大切なのは、いつもの「食べる餅」を作るつもりで丁寧に仕上げることです。凍りもちの品質は、この最初の餅の出来で大きく変わります。搗きが甘いと内部が粗くなり、凍結や乾燥の進み方が不均一になって、割れやすさや仕上がりの香りにも影響します。餅ができたら成形します。地域や家によって形はさまざまですが、共通するのは「乾きやすい形」に整えることです。細長く伸ばしてから輪切りにする家もあれば、最初から薄めの板状にする家もあります。いずれにしても厚みを揃えるのが肝心で、厚い部分だけ乾きが遅れると、内部に水分が残り、保存性が落ちたり、匂いが出たりする原因になります。凍りもちが“保存食”である以上、見た目よりも均一さが大切にされてきました。成形した餅は、いよいよ「凍らせる」工程に入ります。真冬の夜、外に吊るしたり、風通しのよい場所に並べたりして、餅の芯までしっかり凍らせます。冷凍庫とは違い、自然の凍結はゆっくり進むため、餅の内部の水分は細かな氷の結晶へと変わり、組織の中に微細な変化を起こします。この“ゆっくり凍る”という点が、凍りもちの独特の食感と香りの下地になっていきます。夜に凍った餅は、昼間に少しだけほどけます。日中の弱い日差しや気温の上昇で表面がゆっくり緩み、夜にまた凍る。この「凍結と解凍」を何度も繰り返すことで、餅の中に小さな空隙が生まれ、同時に水分が外へ逃げる道ができていきます。凍りもちが乾燥しやすく、出汁を吸いやすく、軽い口当たりになるのは、この段階で餅の内部に“通り道”が作られるからです。ある程度凍結と解凍を重ねたら、次は乾燥です。軒先に吊るしたり、すのこに並べたりして、風と日差しに当てながら数週間かけて水分を抜いていきます。ここは急ぐと失敗しやすい工程で、乾きが早すぎると表面だけ固くなり、内部の水分が閉じ込められます。逆に乾きが遅いと、においが出たりカビの原因になります。信州の冬の晴れ間は空気が乾き、風が冷たく、乾燥に向いています。凍りもちがこの土地で育ったのは、料理というより「気候が工程を完成させてくれる」条件が揃っていたからでもあります。十分に乾燥すると、餅は驚くほど軽くなり、叩くと硬い音がするほど締まります。この状態になれば、保存の準備が整った合図です。家によっては、乾燥後にさらに室内で寝かせて余分な湿気を抜いたり、保存前にひとつずつ状態を確かめたりします。凍りもちづくりは、ひと手間を足して豪華にする料理ではなく、むしろ「手をかけすぎないために、丁寧に見守る」料理です。冬の仕事が落ち着く時期に、家の軒先で静かに進むその工程自体が、信州の冬の暮らしを形づくってきました。なぜ凍らせるのか|寒さを「保存装置」として使う発想
凍りもちの最大の特徴は、「凍らせる」という工程が、味のためだけではなく、暮らしの合理性のために組み込まれている点です。冷蔵庫も乾燥機もない時代、冬の寒さは避けるものではなく、使いこなすべき資源でした。信州大町のように冬の冷え込みが厳しい地域では、気温が自然に氷点下へ落ちる夜が続きます。つまり外に出しておくだけで、素材を凍結させる環境が整っていたのです。凍結はまず、衛生面で大きな意味を持ちます。微生物の活動を抑え、腐敗の進行を遅らせる働きがあります。さらに、凍結と解凍を繰り返すことで、餅の内部に小さな空隙が生まれ、乾燥が進みやすくなります。乾燥は保存性を決定づける要素で、水分が抜けるほど腐りにくく、軽く持ち運びやすくなります。凍らせることは、乾燥を助け、結果として保存を成立させるための“前工程”でもありました。もうひとつ、凍らせる理由は「食べ方の幅」を広げるためです。普通の餅は焼けば膨らみ、煮ればとろけますが、凍りもちになると性格が変わります。軽く炙れば香ばしさが立ち、煮れば出汁や汁を吸い込んで、噛むほどに味がにじむ。お椀の中で主役になるというより、汁や具材と一体になって体を温める“冬の道具”のような存在になります。凍らせることで内部に生まれた空隙が、この吸い込みの良さを生み、凍りもちならではの食感へ繋がっていきます。そして何より、凍りもちには「冬の時間を無駄にしない」という思想があります。雪で畑仕事が止まり、山へ入ることも難しい季節に、家の周りでできる仕事として、保存食を作る。凍りもちは、冬の厳しさの中で生まれた受け身の工夫ではなく、冬の環境を前提に組み立てられた能動的な技術です。寒さを敵として耐えるのではなく、寒さを味方にして、食を整える。この発想が、信州の冬の暮らしの奥行きを作ってきました。凍りもちを語るとき、料理工程の説明だけでは足りません。そこにあるのは、気候と暮らしの折り合いの付け方であり、自然のサイクルに合わせて生活をデザインする知恵です。信州大町の冬が静かであるほど、この食の背景はくっきり見えてきます。軒先に並ぶ白い餅の列は、観光のための風景ではなく、冬を越えるための小さな仕組みが積み重なった、生活の風景そのものなのです。凍りもちの食べ方|日常食としての位置づけ
凍りもちは、完成した瞬間に「ごちそう」になる食べ物ではありません。むしろ、本領を発揮するのは、寒さが続く日々の食卓です。信州大町では、凍りもちは特別な行事食というより、冬のあいだ自然と登場する“日常の延長線上の食材”として扱われてきました。最もシンプルなのは、炙って食べる方法です。囲炉裏や火鉢、現在であればガス火やトースターで、表面が少し色づくまで焼くと、乾燥した餅の中から香ばしい香りが立ち上がります。完全に膨らむことはなく、軽く締まったままの食感ですが、その分、噛むほどに米の甘みがゆっくりと広がります。砂糖をまぶしたり、醤油を軽く垂らしたりと、味付けは控えめです。もうひとつ、凍りもちの定番は汁物に入れる食べ方です。味噌汁やすまし汁、時には野菜たっぷりの煮込みの中に割り入れることで、凍りもちが汁を吸い込み、柔らかく戻ります。ここで特徴的なのは、普通の餅のように溶けて主張するのではなく、具材や出汁と一体化する点です。噛むと中から汁がにじみ出る感覚は、凍りもちならではのものです。家庭によっては、甘辛く煮含める食べ方もあります。醤油と砂糖で軽く味を含ませ、仕上げにきな粉をまぶしたり、刻み海苔を添えたりすることもあります。ただし、味を強くしすぎることは少なく、凍りもちそのものの軽さを活かすのが基本です。主役になるというより、体を温め、腹持ちを良くする役割を担ってきました。こうした食べ方からも分かるように、凍りもちは「空腹を満たすための知恵」として存在していました。雪深い冬、買い物に出ることも難しい日々の中で、保存のきく炭水化物は貴重です。米をそのまま炊くよりも、凍りもちとして保存しておけば、必要な分だけ使えます。無駄がなく、計画的に食べられる点も、この料理が生活に根付いた理由のひとつです。現代の感覚で見ると、凍りもちはどこか素朴で、地味な食べ物に映るかもしれません。しかし、保存性、調理の幅、体を温める役割を併せ持つ点で、極めて合理的な食品です。信州大町の冬の食卓に凍りもちが自然と並んできたのは、郷土料理だからではなく、「そこにあると助かる存在」だったからだと言えるでしょう。凍りもちを食べるという行為は、単に昔の味を懐かしむことではありません。寒さとともに暮らしてきた土地の時間感覚を、食を通してなぞることでもあります。湯気の立つ汁椀の中で戻っていく凍りもちの姿は、信州大町の冬が育んできた、静かで持続的な暮らし方を今に伝えています。凍りもちが生まれた背景|信州の冬と暮らしの関係
凍りもちが生まれた背景をたどると、信州大町の冬の暮らしそのものが浮かび上がってきます。冬のあいだ、この地域は雪に覆われ、畑仕事や山仕事はほとんどできなくなります。外へ出ること自体が負担になる日も多く、食材の調達は限られていました。そうした環境の中で、秋に収穫した米をどう使い、どう冬を越すかは、各家庭にとって切実な問題でした。冷蔵庫や流通が整う以前、食べ物を長く保たせる方法は、塩蔵、乾燥、発酵といった限られた選択肢しかありませんでした。その中で、信州の寒さは強力な味方になります。夜になると確実に氷点下まで気温が下がり、日中は晴れて乾いた風が吹く。この安定した冬の気候が、「凍らせてから乾かす」という工程を、特別な設備なしに可能にしていました。凍りもちが家庭ごとに作られてきたのも、この料理が大量生産向きではなかったからです。天候や気温の微妙な変化を見ながら、凍り具合や乾き具合を日々確かめる必要がありました。今日は外に出す、今日は引っ込める、といった判断は、長年の経験に基づくもので、作業というより「冬の日課」に近い感覚だったと言えます。凍りもちづくりは、暮らしのリズムに組み込まれた行為でした。また、凍りもちは保存食であると同時に、家族の人数や冬の長さを見越して量を調整できる柔軟さも持っていました。米をすべて一度に食べ切るのではなく、形を変えて残しておく。必要なときに戻して食べる。この考え方は、資源を無駄にしないだけでなく、精神的な安心感にもつながっていました。雪深い冬に、食べるものがあるという事実は、それだけで心を支えてくれるものでした。凍りもちが「ごちそう」ではなく、「備え」として根付いてきた理由もここにあります。祝いの席や特別な日に出す料理ではなく、日々の空腹や寒さをしのぐための存在。だからこそ、派手な味付けや見栄えは求められず、確実に役に立つことが何より重視されてきました。この実用性こそが、凍りもちを信州の冬の風景として定着させた最大の要因です。現代の視点で見ると、凍りもちは「昔ながらの郷土料理」として語られがちですが、本質は過去の遺産ではありません。自然条件を前提に生活を組み立てるという考え方は、今も変わらず価値を持っています。信州大町の冬が育ててきた凍りもちは、この土地で人がどう自然と折り合いをつけてきたのかを、静かに物語る存在なのです。現代に残る凍りもちの価値|失われかけた保存食が持つ意味
生活環境が大きく変わった現代において、凍りもちを日常的に作る家庭は確実に減っています。冷蔵庫や冷凍庫が普及し、食材は一年中安定して手に入り、保存のために時間と手間をかける必要はほとんどなくなりました。その意味では、凍りもちは「なくても困らない食べ物」になったと言えるかもしれません。それでもなお、信州大町を含む地域で凍りもちが完全に消えていないのは、この食べ物が単なる保存手段を超えた価値を持っているからです。凍りもちを作ることは、効率を追求する行為ではなく、季節と向き合い、時間をかけて待つことを前提にした営みです。そこには「早く、簡単に」という現代の価値観とは異なる軸があります。凍りもちの工程には、常に自然の様子を観察する視点が求められます。今日は冷え込みが足りるか、明日は天気が崩れないか、風は強すぎないか。判断の基準はマニュアルではなく、日々の空や気温、体感です。この感覚的な知恵は、データ化しにくく、教科書にも残りにくいものですが、地域の暮らしの中で確実に受け継がれてきました。また、凍りもちは「手間をかけた結果がすぐに返ってこない」食べ物です。仕込んでから食べられるまでに、数週間、時にはそれ以上の時間がかかります。この待ち時間は、効率だけを考えれば無駄に見えるかもしれません。しかし、その時間こそが、冬の暮らしにリズムを与え、日々を区切る役割を果たしてきました。凍りもちづくりは、冬をただ耐える時間にしないための工夫でもあったのです。近年、凍りもちが改めて注目される背景には、こうした価値の再評価があります。大量生産や即時消費では得られない、土地と結びついた食文化への関心が高まりつつあります。凍りもちの素朴な味わいは、派手さはないものの、食べる側に「どこで、どう作られたのか」を自然と想像させます。それは、食と土地の距離が近かった時代の感覚を、静かに呼び戻します。信州大町の凍りもちは、保存食としての役割を終えつつある一方で、暮らしのあり方を問い直す存在として生き残っています。自然条件を前提にし、無理に逆らわず、時間を味方につける。その考え方は、食に限らず、これからの暮らし方を考える上でも示唆に富んでいます。凍りもちは、過去の知恵であると同時に、未来へのヒントを含んだ食文化なのです。凍りもちを通して見る信州大町|郷土料理が語る土地の輪郭
凍りもちをひとつの料理として捉えると、その素朴さや地味さが先に立つかもしれません。しかし、信州大町という土地に目を向けて見直すと、凍りもちはこの地域の輪郭を極めて正確に映し出す存在であることが分かります。派手さよりも持続性を重んじ、自然条件を読み取りながら暮らしを組み立ててきた姿勢が、そのまま形になった食べ物だからです。信州大町は、観光地として強い自己主張をする町ではありません。北アルプスの麓という恵まれた立地を持ちながらも、白馬のような華やかさとは距離を置き、生活の延長としての風景を保ってきました。凍りもちが「名物」として前面に押し出されてこなかったのも、この町の性格と重なります。必要だから作り、役に立つから残してきた。それ以上でも以下でもない在り方です。郷土料理という言葉は、ともすると過去のもの、保存すべき文化財のように語られがちです。しかし凍りもちの場合、それは今も続く生活感覚の延長にあります。気温の変化を気にし、空を見上げ、乾き具合を確かめる。その一連の行為は、現代の暮らしの中では失われつつある「環境との対話」を思い出させてくれます。凍りもちは、食べる行為を通して、土地と再び接続するための入り口でもあります。また、外からこの土地を訪れる人にとって、凍りもちは信州大町を理解するための静かな手がかりになります。豪華な料理や分かりやすい名物では伝わらない、この町の時間の流れや価値観が、凍りもちの背景には凝縮されています。なぜ凍らせるのか、なぜ待つのか、なぜ手間を惜しまないのか。その問いに向き合うことは、そのまま信州大町という場所に向き合うことでもあります。凍りもちが今後も大量に消費されることはないかもしれません。それでも、この土地に根付いた食文化として語り継がれていく価値は失われていません。むしろ、速さや効率が当たり前になった今だからこそ、凍りもちのような存在は、暮らしの別の選択肢を示してくれます。信州大町の冬が育んだこの保存食は、土地の記憶を静かに伝え続ける語り部のような存在なのです。信州大町温泉郷旅庵 川喜 -
信州の風土と麹 ― 発酵が育てる土地の味
― 信州だからこそ育つ発酵文化
信州には、発酵の文化があります。
寒暖差の大きな気候
澄んだ水
清らかな空気
この土地は古くから、味噌・醤油・酒など、麹を中心とした食文化を育ててきました。
当館のオーナーは、上級麹士として発酵を学ぶ中で改めて”信州”という土地の力を感じました。
麹は「生きている」
麹は調味料ではありません。
菌が呼吸し、変化し、時間とともに味を育てていきます。
人が急がせることはできません。
これは旅にも似ていると感じます。
日常の忙しさを離れ、ゆっくりと身体が整っていく時間。
発酵とは、目に見えない力が静かに働き、素材も人も本来の姿へと戻っていく過程です。
余分なものを削ぎ落とし、内側から整えていく自然の営み。
麹が時をかけて旨味を引き出すように、旅のひとときもまた、人の心と身体をやわらかくほどいていきます。
急がず、抗わず、自然に委ねること。
その先にこそ、本当の豊かさが生まれるのだと私たちは考えています。
信州と発酵の相性
信州の冬は厳しく、夏は爽やかです。
この環境が雑菌の繁殖を抑え、麹菌が穏やかに働く条件を生みます。
だからこそ信州味噌は全国的に知られ、発酵文化が根付いてきました。
旅庵川喜では、この土地の恵みを料理にも取り入れています。
例えば、4種類の麹(米麹・玄米麹・麦麹・黒麹)をつくり、3ヶ月から約1年間発酵させた自家製味噌や、信州の野菜と合わせた塩麹など、 料理だけではなく、デザートなどにも積極的に活用をしています。旅館で味わう「整う食」
発酵食品は、身体を内側から整えます。
旅の疲れを癒し、翌朝の目覚めを軽くします。
豪華さではなく、身体が喜ぶ食事を私たちはご提供しています。
信州の新鮮な恵の野菜やきのこ類、肉や魚と麹を混ぜ合わせることで、他にはない食をお楽しみいただけます。
発酵も、おもてなし
麹は時間をかけて相手を想う文化です。
見えないところで働き、静かに価値を生み出します。
それは旅館のおもてなしと同じ姿だと私たちは感じています。
信州の風土と麹。その出会いが、旅庵川喜の味を形づくっています。
麹づくりから、様々な発酵食材を取り入れた旅庵川喜ならではの「食」をぜひ体験しにお越しください。
信州大町温泉郷
旅庵 川喜
執筆:川面 喜昭 -
〜旅庵川喜 開業までの成り立ち〜 The Story of Our Journey to Opening: Ryoan Kawaki
-京都での事業-
弊社(法人名:株式会社川喜商店 京都府京都市)は、1968年に京都で材木商として創業(法人登記)しました。(創業前はタンス卸売や旅館を営む) 元離宮二条城から南へ400mの堀川通に面した代々からの土地で、30年近く材木業を営んで参りましたが、不況もあり1997年にホテル(京都堀川イン)に業種転換しました。 京都では、観光のお客様はじめ、ビジネスやイベント、芸能や伝統など様々なお客様にご愛顧いただけるホテルにまで成長し継続することができました。 しかし、コロナ禍に入ると観光需要が激減し、京都市内のホテル価格が大暴落するなど弊社も非常に苦しい状況に直面しました。 ですが、国内の常連のお客様の応援や、国内外からの心温まるご声援のお陰もあり苦難を乗り越えることができた次第です。 その後、需要も回復し再起しましたが、建物や設備の老朽化や物価高騰の影響が重なり運営継続が困難となり、2023年11月、26年間の営業に幕を下ろしました。-大町温泉郷に至る-
そもそも、大町温泉郷はじめ長野県には全くご縁がありませんでした。 ホテル閉館後、元々材木業を営んでいた弊社の先代社長と大町温泉郷で宿泊業を営んでおられる方と共通の知人を通してご縁をいただいたのは2024年初頭 現在の旅庵川喜は、先代運営されてきた旅館を取得しリノベーションして運営しています。 元々の旅館は、安曇野地方の伝統建築である 本棟造り を踏襲した約2200坪の名宿でした。 材木業を営んでいたからこそわかる木の材質、弊社の先代社長はこの旅館の重なり合う梁や庭園の魅力に心を奪われました。 そして、今日の大町温泉郷 旅庵 川喜として開業するに至っています。 梁や骨組みなど元々の旅館の魅力を残しながら、客室やお風呂、庭を改装しています。 多くの方々のご協力により2024年10月に無事開業することができました。-新米旅館としてお客様へのおもてなし-
2024年10月に開業してから、私たちはホテルの経験はあれど旅館運営に携わったことがなく、独自のスタイルで運営を始めています。 従業員の家族や知人が泊まって喜んでいただける旅館をコンセプトにはじめ、これまで多くの方々にご宿泊いただいております。 励みになるお声を頂戴する一方で、私たちの力不足により厳しいお言葉を頂戴することもあります。 スタッフ全員でお客様のお声に耳を傾けながら、常にお客様にお喜びいただけるサービスを考案しご提供することを使命と感じています。 新米旅館として、現在は「ととのう宿」というコンセプトを掲げ、健康・美・癒しの体験を通して、”体を整える旅”の実現をミッションにしています。 せっかく旅行先に旅庵川喜をお選びいただけるからこそ、少しでも体に優しい食事をしていただき、心も体も軽く、日常の喧騒やストレスから離れ リセットしていただける宿泊をしていただきたいというのが私たちの想いです。 また、全5部屋のため、静かで落ち着いた環境の中で滞在でき、全客室にいつでもご入浴できる天然温泉の檜風呂をご用意しております。 そのため、大人の隠れ家宿としてご家族やご夫婦、カップルでのご宿泊をいただいております。 これからも、京都と長野のご縁を大切に、各々の地域の伝統や文化の特徴を取り入れた新しいスタイルの宿を築いて参る次第です。 最後までお読みいただきありがとうございました。株式会社川喜商店 旅庵 川喜
代表:川面 喜昭 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・-Business in Kyoto-
Our company (corporate name: Kawaki Shoten Co., Ltd., Kyoto City, Kyoto Prefecture) was founded (incorporated) in Kyoto in 1968 as a lumber merchant. (Prior to founding, we operated as a wholesale furniture business and inn.) Located on Horikawa-dori, facing the former imperial palace Nijo Castle and just 400 meters south of it, on land passed down through generations, we operated the lumber business for nearly 30 years. However, due to economic downturns, we transitioned to the hotel business in 1997. In Kyoto, we grew and sustained a hotel that served a diverse clientele, including tourists, business travelers, event attendees, and those involved in the performing arts and traditional culture. However, the onset of the COVID-19 pandemic drastically reduced tourism demand. Hotel prices in Kyoto plummeted, placing our company in an extremely difficult situation. Nevertheless, thanks to the support of our loyal domestic customers and the heartwarming encouragement from both Japan and abroad, we managed to overcome these hardships. Demand later recovered, allowing us to resume operations. However, the combined effects of aging buildings and facilities, along with soaring costs, made continued operation difficult. Thus, in November 2023, we closed our doors after 26 years of service.-Arrival at Omachi Onsenkyo-
Originally, we had absolutely no connection to Omachi Onsenkyo or Nagano Prefecture. After the hotel closed, a connection was forged in early 2024 through mutual acquaintances between the fifth-generation president, who originally ran a lumber business, and someone operating lodging in Omachi Onsenkyo. The current Ryoan Kawaki operates by purchasing and renovating a ryokan previously run by its predecessor. The original ryokan was a renowned establishment of approximately 7,280 square meters, adhering to the traditional Azumino-style main building construction. It was precisely because he was in the lumber business that he understood wood's qualities; the fifth-generation president was captivated by the charm of this inn's overlapping beams and gardens. This led to its opening today as Omachi Onsenkyo Ryoan Kawaki. While preserving the original inn's charm, such as its beams and framework, we have renovated the guest rooms, baths, and gardens. Thanks to the cooperation of many people, we were able to open successfully in October 2024.- Hospitality for Our Guests as a New Inn -
Since opening in October 2024, we have been operating in our own unique style, drawing on hotel experience but without prior inn management. We began with the concept of creating an inn where our employees' families and acquaintances would enjoy staying, and many guests have since visited us. While we receive encouraging feedback, we also sometimes face harsh criticism due to our shortcomings. Our entire staff listens attentively to our guests' voices. We feel it is our mission to constantly devise and provide services that bring our guests joy. As a new ryokan, we currently embrace the concept of “a place to restore balance.” Our mission is to realize a “journey to restore your body” through experiences focused on health, beauty, and healing. Precisely because you've chosen Ryoan Kawaki as your travel destination, we hope you'll enjoy meals that are gentle on the body, allowing you to feel light in both mind and body. We wish for your stay to be one where you can disconnect from the daily hustle and stress, truly resetting yourself. Moving forward, we will continue to cherish the connections between Kyoto and Nagano, building a new style of inn that incorporates the unique traditions and cultural characteristics of each region. Thank you for reading to the end.Kawaki Shoten Co., Ltd.,
Ryoan Kawaki
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一杯のお茶に宿る、おもてなしの心 〜The spirit of hospitality dwells in a single cup of tea〜
旅庵川喜が大切にする「最初の一服」
旅館という場所は、非日常へ入る入口です。
それが始まる瞬間は、玄関をくぐった時ではありません。
一息ついた時。
肩の力が抜けた時。
静かに心がほどけた時。
その瞬間に、人はようやく日常から解放されます。
旅庵川喜では、その時間を「一杯のお茶」に託しています。
茶道で学んだこと
私は本社のある京都の裏千家にて茶の湯の基礎を学びました。
茶道の点前は、単なる作法ではありません。
そこにあるのは、
・相手を想うこと
・無駄を削ぎ落とした動き
・心を整える時間
一碗のお茶は、ただ飲むだけではなく時間を楽しむものです。
湯の音、茶筅の響き、器の温もり。すべてが客人のために整えられます。
旅館のおもてなしと茶の湯
茶の湯には「一期一会」という言葉があります。
同じ客室でも、
同じ季節でも、
同じ一日は二度とありません。
だからこそ旅庵川喜では、
お客様との出会いを一席の茶事のように考えています。
華美ではなく、過剰でもなく、
ただ静かに寄り添うこと。
それが私たちの目指すおもてなしです。
一杯のお茶が伝えるもの
到着後の一服には、
「ようこそお越しくださいました」という言葉以上の意味があります。
旅の緊張を解き、
土地の空気に身体を馴染ませる。
それは信州という自然へ心を開く準備でもあります。
一杯のお茶から始まる滞在。
それが旅庵川喜のおもてなしの入口です。
※茶室付のお部屋もございます。 ご希望のお客様は、旅館までお問合せくださいませ。
信州大町温泉郷
旅庵 川喜
執筆:川面 喜昭
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― The “First Sip” Cherished at Ryokan Kawaki
A ryokan is the gateway to the extraordinary. Yet the moment your journey truly begins isn't when you step through the entrance. It's when you take a breath. When the tension leaves your shoulders. When your heart quietly unwinds. In that instant, you finally become a traveler. At Ryokan Kawaki, we entrust that moment to “a cup of tea.”Lessons Learned from the Way of Tea
I studied the fundamentals of the tea ceremony at the Urasenke school in Kyoto, where our headquarters is located. The tea ceremony is not merely a set of formalities. What it embodies is: * The order of consideration for others * Movements stripped of all waste * Time to settle the mind A bowl of tea is not just a beverage; it is “time” itself. The sound of boiling water, the resonance of the whisk, the warmth of the vessel. Everything is prepared for the guest.Ryokan Hospitality and the Way of Tea
The Way of Tea holds the concept of “ichi-go ichi-e” (a once-in-a-lifetime encounter). Even the same guest room, even the same season, the same day never comes twice. That is why at Ryokan Kawaki, we regard each encounter with our guests as a tea ceremony. Not ornate, not excessive, but simply being quietly present. That is the hospitality we strive for. What a Cup of Tea Conveys The first cup of tea after arrival holds meaning beyond the words “Welcome.” It eases the tension of travel, allowing your body to acclimate to the local air. It is also preparation for opening your heart to the nature of Shinshu. A stay that begins with a cup of tea. That is the flow of time at Ryokan Kawaki. ※ Rooms with private tea rooms are also available. Guests wishing to reserve one are kindly requested to contact the inn directly.Ryoan Kawaki